自分を取り戻す方法を探す
なぜ自分を信用できなくなってしまったのか
なぜ他人を優先して自分を失くしてしまったのか
失った自分を取り戻す方法を探して進めば良い
「自分を取り戻せばよい」
「もっと自信を持って!」
「他人を優先するな」
そう言われても。どうやって?と思ってしまう。
そんな努力はしてきた。
心掛けても出来ないんだよ。という人は多い
***
なぜそうなってしまったのか?
その原点を探すと
早い人では母親。
「このままでは母に認められない」と感じた自己が見つかることが多い
「親に気に入られるため」自分よりも母を優先する
母親の意思を通す
自分よりも他者を優先する思考が発達する
母親の視点に「自分や我が子よりも周囲の世間体を気にする」が強い場合
自然とその資質が身に付き
同時に、母に合わせて自分も世間体を中心として考えるようになり
自分自身というものを横に置いておく資質が備わっていく
→自分を取り戻すためには
親の思考を超える必要がある。
幼稚園時期に集団活動に入り
「周囲に合わせなければならない」と自分自身に戒めを持ってしまった人も多い
「枠にハマる」ことで認められる
言われたとおりに動く子が「良い子」
「自分の思うままに動いてはならず、周囲に合わせ、指示に従わなければならない」という思考を得る
その状況は「周囲や指示に従い、自分の思うままに動くことはいけないんだ」という認識と共にある
周囲に合わせ自分を変えることで集団に馴染む思考と指向性を得ている。
自分で判断し「集団から望まれること」と「本来自分が望んでいること」の両方を区別して認識し
両方を認識した上で「今の自分が何を選ぶか」と
「選択肢が自分自身にある」という事を学ばなければならない
次に現れるのは学童期。10歳くらいに多い
学友との交流の中で「ハッ」とした衝撃と共に。「このままではいけないんだ!」という認識が入るパターン
イキイキと自分のままに行動してきた自分を閉じ。『周囲に合わせること』を主軸として選んでしまった人も多い
それまでは自由に生きてきた。
自分の思うままに体験し、楽しみ。周囲との交友を持ちイキイキと活動していた
だけれども、何気ない瞬間に「あれ?」という衝撃と共に「気づく」
「あれ?自分は他の人とは違う。。?」
同時に
「これではいけない?!」という衝撃
その残像を強く残している人は多い
「このままではいけないんだ」
「周囲に混じらなければ活動していけない」
「自分のそのままで動いていてはならないんだ」
目まぐるしく思考した痕跡も同時にある。
そして
「周囲に合わせることを知る」
「自分本位ではなく、周囲に主体性を求め『合わせる』ことを学ぶ」
「自分のありのままの活動を閉じ、周囲に合わせ型枠からはみ出ない生活を主軸にしていく」という方針を持つ
それが「或る程度」で収まれば、社会性を身に着ける過程としての一助で済むが
ある程度を過ぎ、過剰であれば「自己を否定し周囲の枠に合わせる」という方向性へと進む
自己発揮がしにくくなり
自分自身よりも「周囲全体の中の部品」としての活動を始め
自己主体性よりも「何を求められているか」という、その場の役割のようなものを演じ始める
「自分自身が何を選ぶか」「その役割は本当に必要か」「本来の自分は何を求めているか」を模索し
その上で「それは本当に必要か」「私はそれを望んでいるか」と、自分を原点とした感覚を探し
自己の主体性として、それを「喜んで行っているか?」を点検し
「今の自分が喜んで行える行動」を探し、行うことが重要となってくる。
一度得てしまった方針は、その後の人生に大きく影響を与えている。
人生の在り方を点検し、過去の自分の経緯を知ることで
その状況を認識し、次の展開を求め、行動すると
自分を取り戻していくことが出来る
人は集団の中で過ごさなければならない。
「今の自分のままでは集団に馴染めない」と感じた時
自分を閉じ、周囲に合わせることを選んでしまう性質がある
それは
人間の進化の過程で「集団に馴染めなければ生存が危うい」とされた時代があったから。
家族単位の中、親に見捨てられれば食べ物は与えられず、生きては来れなかった。
集合生活の中、狩猟を主軸とする時代。集団意識の仲間と認識されなければ食べ物を分けてもらう事は出来なかった。
生存本能として「他者の中に混じる」という事は必須であった
その記憶は強く、本能に近い部分に組み込まれている
その本能に絡む性質を超えて
自分を取り戻すことで人生は豊かになる
たとえ否応なく「選ばされた」という感覚を持っていてさえ
自分を取り戻すと「あぁ、選択権は自分にあり、その中で自分はそれを選んだんだ」と
後から認識できるようになってくる
事前に気が付くことは難しい
身に着けた後に分かることは多い
自分を自分に取り戻し、行動の原点を自分に備えることで
人生の持ち方。自分による選択幅。周囲観察の仕方等
いろいろな視点が変わってくる
変わることでの恩恵は大きい
最良に自分を取り戻し
自分自身に原点をもって人生を構築できますように
最良で在りますように
ありがとうございました
20/06/04
一覧を見る
TOP
なぜ自分を信用できなくなってしまったのか
なぜ他人を優先して自分を失くしてしまったのか
失った自分を取り戻す方法を探して進めば良い
「自分を取り戻せばよい」
「もっと自信を持って!」
「他人を優先するな」
そう言われても。どうやって?と思ってしまう。
そんな努力はしてきた。
心掛けても出来ないんだよ。という人は多い
***
なぜそうなってしまったのか?
その原点を探すと
早い人では母親。
「このままでは母に認められない」と感じた自己が見つかることが多い
「親に気に入られるため」自分よりも母を優先する
母親の意思を通す
自分よりも他者を優先する思考が発達する
母親の視点に「自分や我が子よりも周囲の世間体を気にする」が強い場合
自然とその資質が身に付き
同時に、母に合わせて自分も世間体を中心として考えるようになり
自分自身というものを横に置いておく資質が備わっていく
→自分を取り戻すためには
親の思考を超える必要がある。
幼稚園時期に集団活動に入り
「周囲に合わせなければならない」と自分自身に戒めを持ってしまった人も多い
「枠にハマる」ことで認められる
言われたとおりに動く子が「良い子」
「自分の思うままに動いてはならず、周囲に合わせ、指示に従わなければならない」という思考を得る
その状況は「周囲や指示に従い、自分の思うままに動くことはいけないんだ」という認識と共にある
周囲に合わせ自分を変えることで集団に馴染む思考と指向性を得ている。
→自分を取り戻すためには
自分で判断し「集団から望まれること」と「本来自分が望んでいること」の両方を区別して認識し
両方を認識した上で「今の自分が何を選ぶか」と
「選択肢が自分自身にある」という事を学ばなければならない
次に現れるのは学童期。10歳くらいに多い
学友との交流の中で「ハッ」とした衝撃と共に。「このままではいけないんだ!」という認識が入るパターン
イキイキと自分のままに行動してきた自分を閉じ。『周囲に合わせること』を主軸として選んでしまった人も多い
それまでは自由に生きてきた。
自分の思うままに体験し、楽しみ。周囲との交友を持ちイキイキと活動していた
だけれども、何気ない瞬間に「あれ?」という衝撃と共に「気づく」
「あれ?自分は他の人とは違う。。?」
同時に
「これではいけない?!」という衝撃
その残像を強く残している人は多い
「このままではいけないんだ」
「周囲に混じらなければ活動していけない」
「自分のそのままで動いていてはならないんだ」
目まぐるしく思考した痕跡も同時にある。
そして
「周囲に合わせることを知る」
「自分本位ではなく、周囲に主体性を求め『合わせる』ことを学ぶ」
「自分のありのままの活動を閉じ、周囲に合わせ型枠からはみ出ない生活を主軸にしていく」という方針を持つ
それが「或る程度」で収まれば、社会性を身に着ける過程としての一助で済むが
ある程度を過ぎ、過剰であれば「自己を否定し周囲の枠に合わせる」という方向性へと進む
自己発揮がしにくくなり
自分自身よりも「周囲全体の中の部品」としての活動を始め
自己主体性よりも「何を求められているか」という、その場の役割のようなものを演じ始める
→自分を取り戻すためには
「自分自身が何を選ぶか」「その役割は本当に必要か」「本来の自分は何を求めているか」を模索し
その上で「それは本当に必要か」「私はそれを望んでいるか」と、自分を原点とした感覚を探し
自己の主体性として、それを「喜んで行っているか?」を点検し
「今の自分が喜んで行える行動」を探し、行うことが重要となってくる。
一度得てしまった方針は、その後の人生に大きく影響を与えている。
人生の在り方を点検し、過去の自分の経緯を知ることで
その状況を認識し、次の展開を求め、行動すると
自分を取り戻していくことが出来る
***
人は集団の中で過ごさなければならない。
「今の自分のままでは集団に馴染めない」と感じた時
自分を閉じ、周囲に合わせることを選んでしまう性質がある
それは
人間の進化の過程で「集団に馴染めなければ生存が危うい」とされた時代があったから。
家族単位の中、親に見捨てられれば食べ物は与えられず、生きては来れなかった。
集合生活の中、狩猟を主軸とする時代。集団意識の仲間と認識されなければ食べ物を分けてもらう事は出来なかった。
生存本能として「他者の中に混じる」という事は必須であった
その記憶は強く、本能に近い部分に組み込まれている
その本能に絡む性質を超えて
自分を取り戻すことで人生は豊かになる
たとえ否応なく「選ばされた」という感覚を持っていてさえ
自分を取り戻すと「あぁ、選択権は自分にあり、その中で自分はそれを選んだんだ」と
後から認識できるようになってくる
事前に気が付くことは難しい
身に着けた後に分かることは多い
自分を自分に取り戻し、行動の原点を自分に備えることで
人生の持ち方。自分による選択幅。周囲観察の仕方等
いろいろな視点が変わってくる
変わることでの恩恵は大きい
最良に自分を取り戻し
自分自身に原点をもって人生を構築できますように
最良で在りますように
ありがとうございました