自分がない。自分がわからない人へ
人の様子や感情に振り回されて生きていると
いつしか自分が薄くなり
自分が何なのか?わからなくなり
自分が何を望んでいるのかも見えなくなり
自分の好みも曖昧で
「何を食べたい?」と聞かれても「なんでもいいよ」と応えるし
「なんでも良くはないでしょう?」と言われても「だって何でもいいし」と思うし
「何か言ってよ」と言われると困ってしまう。
生きてる実感が少なくて
楽しいという感情が薄れちゃってて
人といて笑っていたって笑ってる自分に違和感を感じるというか?他人が笑ってるみたいに『眺めてる自分が別にいる』
ただ機械的に毎日の行動を行うことはできる。
学校が好きなわけでもないし、仕事が好きなわけでもない。
出来れば何もしたくなくて休みが好きなんだけど、休日にやりたいことがあるわけでも無い.
ただ生きてるから生きてるんだし
生きたいわけではないけど、死にたいわけでも無いから生きてるんだし
ぶっちゃけどっちでもイイんだけど痛いの苦しいのは嫌だし積極的に死ななくていいから生きている。
・・・・・
そんな人は、自分がどうでも、何でも、どうだって良いでしょう?
やりたい事があるわけでも無いし。
趣味といえるような興味もないし。
時間が暇だからなんとなくゲームに夢中になって毎日を潰してるだけで…
どうせどうでもいいんなら、ちょっと頼まれてくれないかな?
その状態って
自分が拡散して、散漫になって、希薄になってるのが原因に見えるんだけどさ
ちょっと、試してみてほしいんだ
【主語を自分にする練習】
日々の行動を
「自分が○○」
「自分は△△」で考える。
そして瞬間瞬間に、頭の中で文章化する。
っていうのをやってみてほしいの。
人に頼まれて物をとってあげるときにも
「私は頼まれたので○○さんにものを取って渡す」
友達の顔色を見て明るい声を出すときにも
「私は、友達の顔色を見て気になったので明るい声を出して空気を和ませる」
人の会話も聞き役で、ただニコニコ周りにあわせて笑ってるだけの時も
「私は今、みんなとの輪に入っている風に見せかけながら空気のような存在感を醸し出している」
「私はそつなく相槌をうちながら、主要ではない立ち位置に勤しんでいる」
…これをやってると、自分の人生の主人公が自分に戻っていくんだよ。
自分の立ち位置や
自分のポジショニングが見えてきて
まるで空気のように生きてる人生が、実は空気でなく実在している人物(自分)が居るって
だんだんと分かってくるんだよ。
自分がわからなくなっちゃってる人って、もともと頭の良い人は多いんだ。
他人に気を遣うのが上手くて、上手すぎて「ついでに自分のことを忘れちゃった」人が多いから
他人に気を遣う癖が抜けなくても自分観察をし始めたら出来ちゃうくらいのIQは持ってるしね。
日々の物事を
「私は」「私が」から文章化することで
自分がわからなくなっちゃってる人もかなり自分を思い出せると想うんだけど
試してもらえないかなぁ?
しばらく続けて
なくしてた自分が見えてきたか?
わからなかった自分が少しは変わったか?変わらなかったか?
感想を聞かせてほしいんだ。
ありがとうございました
20/06/04
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人の様子や感情に振り回されて生きていると
いつしか自分が薄くなり
自分が何なのか?わからなくなり
自分が何を望んでいるのかも見えなくなり
自分の好みも曖昧で
「何を食べたい?」と聞かれても「なんでもいいよ」と応えるし
「なんでも良くはないでしょう?」と言われても「だって何でもいいし」と思うし
「何か言ってよ」と言われると困ってしまう。
生きてる実感が少なくて
楽しいという感情が薄れちゃってて
人といて笑っていたって笑ってる自分に違和感を感じるというか?他人が笑ってるみたいに『眺めてる自分が別にいる』
ただ機械的に毎日の行動を行うことはできる。
学校が好きなわけでもないし、仕事が好きなわけでもない。
出来れば何もしたくなくて休みが好きなんだけど、休日にやりたいことがあるわけでも無い.
ただ生きてるから生きてるんだし
生きたいわけではないけど、死にたいわけでも無いから生きてるんだし
ぶっちゃけどっちでもイイんだけど痛いの苦しいのは嫌だし積極的に死ななくていいから生きている。
・・・・・
そんな人は、自分がどうでも、何でも、どうだって良いでしょう?
やりたい事があるわけでも無いし。
趣味といえるような興味もないし。
時間が暇だからなんとなくゲームに夢中になって毎日を潰してるだけで…
どうせどうでもいいんなら、ちょっと頼まれてくれないかな?
その状態って
自分が拡散して、散漫になって、希薄になってるのが原因に見えるんだけどさ
ちょっと、試してみてほしいんだ
【主語を自分にする練習】
日々の行動を
「自分が○○」
「自分は△△」で考える。
そして瞬間瞬間に、頭の中で文章化する。
っていうのをやってみてほしいの。
人に頼まれて物をとってあげるときにも
「私は頼まれたので○○さんにものを取って渡す」
友達の顔色を見て明るい声を出すときにも
「私は、友達の顔色を見て気になったので明るい声を出して空気を和ませる」
人の会話も聞き役で、ただニコニコ周りにあわせて笑ってるだけの時も
「私は今、みんなとの輪に入っている風に見せかけながら空気のような存在感を醸し出している」
「私はそつなく相槌をうちながら、主要ではない立ち位置に勤しんでいる」
…これをやってると、自分の人生の主人公が自分に戻っていくんだよ。
自分の立ち位置や
自分のポジショニングが見えてきて
まるで空気のように生きてる人生が、実は空気でなく実在している人物(自分)が居るって
だんだんと分かってくるんだよ。
自分がわからなくなっちゃってる人って、もともと頭の良い人は多いんだ。
他人に気を遣うのが上手くて、上手すぎて「ついでに自分のことを忘れちゃった」人が多いから
他人に気を遣う癖が抜けなくても自分観察をし始めたら出来ちゃうくらいのIQは持ってるしね。
日々の物事を
「私は」「私が」から文章化することで
自分がわからなくなっちゃってる人もかなり自分を思い出せると想うんだけど
試してもらえないかなぁ?
しばらく続けて
なくしてた自分が見えてきたか?
わからなかった自分が少しは変わったか?変わらなかったか?
感想を聞かせてほしいんだ。
ありがとうございました