「自己の成長の欲求と共に進む」 自動書記と訳文

The ray of awakening

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「自己の成長の欲求と共に進む」 自動書記と訳文

さらナンリィ ブログ

2018/02/25 「自己の成長の欲求と共に進む」 自動書記と訳文

 

  ***自動書記***

 

 

『自己の成長 認めて進め ならんとぞ欲す』

成長の欲求と共に進め

(それ以外のものは置いていけ)

 

働きかけるなら

自手の成長欲求に火をつけてからだ

 

そうでなければ

 

自手に身の成長欲が損なわれ

いびつな形となり

自分自ら行い成長するための芯(芽)が成り立たぬ

 

下手な成長の在り方を進める中で「サルマネ」となり

形だけの見栄えとなり

空虚なものとなり得る

 

 

***訳***

 

 

 

 

『自分自身の成長を認めながら進むことは大切なことだ』

 

自分が「そうなりたい!」と思う

自己の欲求と共に進め

 

他人にどう言われたとか

世間にどう思われるとか

そんなものは気にするな

 

ただし。自己の欲求として

「自分はこうしたいけど。周りに合わせるとこうなるから

どっちにしよう?

自分が求めるのはこっちだな!」と

相手に合わせる事や

周囲へ気配りする自分を選んで(=自己の欲求)

その道を選ぶことは自由だ

 

 

『本来ならこうあるべきだ!』という

自分な中にいつのまにか出来上がった概念を抜け出すことは簡単ではない。

いつのまにやら身に着いた「こういう時にはこれ!」という集合意識や

家庭生活の中で習慣ついた伝統的な状態は

容易に意識から外れるものではない

 

だけれども

『本当の自分はどうありたかったのか?』を気にして

例えば自分が小さかった頃

世間体や周囲への気づかいが無い時期の自分だったら

いったい何を求めただろう?と想像することは出来るだろう

 

幼少の自分は「これをしなさい」と言われることと「これをしたい」と思う自分と

どちらを選んでいたか?

 

それをガイドにすると良い

 

「これをしたい」と思う素直な心は成長欲求につながる道でもある。

 

 

 

【他人に依存した自分自身の道】というのがある

それは

いつの間にか習慣づいてしまっていて気が付きにくいものではあるが

「誰かに言われるまで行動しない」という事や

「誰かの許可がなければ動けない自分」が発生している場合や

「周囲の目が気になって自由に動けない自分」というものがあったりする

 

そのような状態が習慣づいてしまうと

たとえ高原の中でひとりで居たとしても

誰もいない周囲の目線が気になって。自由に動くこともままならない状態となってしまうものなのだ

その状態を言い換えてみると

「周りに人が居て、自分と関りを持ってくれるからこそ動ける自分」が発生している状態でもあるのだよ。

 

 

人は自由を手にしたと言うが

本当にそうであろうか?

自分自由に振る舞う事の制限を受け

その中での自由を満喫し

規制の中の自由を手にしているだけではないか?

 

自己の欲求は自由であり

誰に制限を受けるものでもないのだ

 

自由な自分であればいったいどのように振る舞っていたのか

それを思い出してからこそ

「自由な成長」が出来るようになる

 

「自分がこうなりたい!」という成長欲求を満たす道こそ

制限のない世界での自由な成長を遂げられるのだ

 

 

 

制限の内側にある規制された自由の中では

自由な成長欲求を得ることは難しい

 

「こうなりたい」という自然発生的な意識の芽生えさえも閉ざされてしまうであろう

形ばかりとなる「こういう場合はこう」といった成長の芽生えになっていては

周囲に合わせた成長の仕方しか得られぬではないか

 

規制された制限の内の「自由な成長」では

結果的にイビツな形の成り方にしか至らず

形だけの自由を手に入れた「成長したらこう」という形の発生にしか成り行かない

それは本当に自分の心の満足のいく形態なのであろうか

心の想いは満たされるのか

空虚な心を抱えたままの成長と成り得はしないだろうか

 

 

 

 

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自由な成長と共に愉しめますように

 

 

 

最良和

 

 

認恵します

 

最 真

 

ありがとうございました

 

 

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