ほんとうは安心して安定していたいだけなんだよ それが難しいね(その1)

The ray of awakening

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ほんとうは安心して安定していたいだけなんだよ それが難しいね(その1)

音声配信記事

2021/09/01 ほんとうは安心して安定していたいだけなんだよ それが難しいね(その1)

自分が何をやったら安心するのか?自分が何を得たら安心するのか?そして、安定するのか?

 

そこを、しっかりと自分の内側に見定める、探していく、ちゃんとわかってあげる。そういうのって、すごく大切なのに、それが分からないまま、躾けられたり求められる。外側から求められる物事や、「これだよ」って教えられた物事に従順に、「あ、そうなんだ」って、そのまま信じ込んで疑いもせず、追い続けてしまうと、本当の安定を得るには何が必要なのか分からなくなってしまう。人間って、思考が強いから、探そうとしても難しいんです。

 

人は、自分の中で、「本当に安心・安定する事って何?」と思っても、「これだよ」的に指示・指導されるのが当たり前という状態で生きて来ている。自分が本当に求めているもの。小っちゃい時は、それを本当に欲っしていたし、好きな事をしていたかった。けれども、色んなやりたい事を我慢して、やらなきゃいけない事が満載で、やらなければならない事に、従順に生きるしかなかった、っていうのが、すごく多いです。

 

遊びたい盛りの子供達が、毎日やらなければならない事がある。週に5日学校がある。自由にしていたいのに、できない。やっちゃいけない。それが基準であるっていうのが、体に染み付いちゃってる。我慢することが、いいことなんだ。認められる、褒められる。言われた事を従順にやる。家に帰って、宿題やったら喜ばれるとかね。相手が喜ぶっていうのはすごく好きだから、子供達も。相手が、嫌な気持ちにならないように、怒らせないように、怒られるのが嫌だ、の手前にある感情は、怒ってる相手の事がすごく悲しくなっちゃうっていうの多いんですよ。もうそれは2歳、3歳、もっと小さい時。親の機嫌。これこれこうすると親の機嫌が悪くなっちゃう。「わああっ」てなって、怒らせたくない、怒られるの怖いにだんだんなってたり。過去生由来で、もう既に先に怒られる怖い、怒鳴り声嫌い、怖い。怖いです。だから怒られないように。

 

認められる、受け入れて貰えてる、自分がここにいていい、という状態は、保持しなければ、狩猟民族だったら、その界隈にいられなくなったら食べていけない。みんなで獲物を捕まえて、分けるというサークルの中に入っていないと、生きていけなかった。マンモスとかその辺の時代。その辺の記憶は、本能に入ってるんですよね。これは日本人にも結構入ってるんですよ。DNAとかそっちなんでしょうね、体の構造をとか、そちらのエネルギーで、サーチしていくと、よく見えるので。そういうのが、染みついている。

 

 

日本人も、各々生きてるっていう部分、すごく多かったんです。日本人の古来の状態だと、もう本当にナチュラルで、優和です。縄文期、(縄文も前期・後期ちょっと毛色が変わってくるんですけど)その元々のナチュラルに近い方のジャパニーズのエネルギーを見ていると、ふわぁっと生きている。現代、生きてる中で、来年以降のことを心配するのは、生物の中で人間だけ。そうなっちゃったのは結構ここ最近で。来年以降のことなんて気にしない。明日の事も気にしない。今食べたいものは食べる、みたいな。

それで、ジャパニーズな昔の方々を眺めてるとね、本当に優和で、共感性、協調というか、感情や情感の同調がすごい強くって。誰かがお腹空くと、みんながお腹空いた気分になるんですよ。お腹空いてる者のところ寄ってって、相手も食べさせるけれども、自分も隣で食べてる。二人とも、お腹が満たされると、満足っていう感じで、離れていく、みたいな。そんなねぇ、すごい優和なナチュラルな状態で過ごしてたんだなぁって。そういう雰囲気って、日本は、江戸期くらいまで続いてるんですよね。

 

日本列島も、海外とのやり取りとか、歴史で習う日本の歴史いろいろありますけど。ああいう風に社会生活を基準に「何かし」してたっていうのって、全体の中の一部で、それ以外の人達って、かなり優和に、「そうなんだぁ」とか(いう感じでした)。戦時中とか、「戦争行くぞ」って言われた時に、「そうなんだぁ」っていう感じで、相手が「行って欲しいと思ってるなあ、じゃあ行ってあげなきゃいけないよね」、みたいな感じで、優和な心で相手を認めるからこそ、ついて行くみたいな。テレビでやってる歴史ものとか時代劇ものって、すごいなんかツンとしたような、あの「統率!」という感じの人が登場します。あの「身も心も、この人のために」みたいな感じ。ああいう、かっこよさっていうのは、あるんだけれども、何割っていう程度しかいません。それ以外の大幅な方々ってかなり優和だったよねって。

 

あのね、優しいっていう言葉も、現代の用語として、ニュアンスが違って、もっと単純なんですよ。ただ単純に、相手が困んない方が良いっていう。相手が困ると、自分も困った気になっちゃうから。今のスピリチュアル的な用語で言うと、エンパスの、あの共感性。あの同調なんですけどね。

人混みに行くと疲れちゃう人とか、みんなのエネルギーに持ってかれちゃって、自分もなんか、ワシャワシャしちゃって疲れちゃうんですけども、そういうのもあったり。日本の方々、古来から続くものを引いて、人体に持っている私達日本人っていうのは、かなりそういう共感性がある。もともと優和で優しい。人が困ってる状態が好きじゃない。一緒に困っちゃうから。だから困らせないようにしたい。相手が困っていると、自分も困る。だから、一緒に、とか。困らせるくらいだったら頑張るっていう風な循環になってきちゃった現代。

 

大陸とか、朝鮮半島由来で、統率のとれた一本気な感じのエネルギーを、日本列島のみんな(日本人)に仕込むというマジナイ的なものは、大昔からいっぱいあった。戦国時代の、社会秩序を信奉したりする系統もそっちのエネルギーです。それでも、日本人は、その質を保っていた。明治、大正辺りからは、西洋ナイズされた思想が強まってきて、その保っていたジャパニーズの質が、乱された。大昔から仕組まれてきた統率だとか、みんな同じだとか、同調しなければならないっていう義務的な、社会通念に近いエネルギーが、どわっと増えた。例えば、第二次世界大戦とか、あの辺はそういうエネルギーが強いです。国民全体をまとめたっていうような。そこの手前までは、まだ質を保っている方々がいたんだけれども、「これこれこうしなければ生きていけない」という義務感のようなものが、ガンっと第二次以降に入りました。

 

昭和も前半までは、そこ迄ではなかった。後半から、平成にかけて、「お金がないと生きていけない」と、当たり前に口に出すようになってしまった。そんな事を言うようになったのは、本当に近年の事です。そういう人達が、もし江戸時代に行ったとしたら、「何言ってるの?」と周りに不思議がられる。「お金で生きているわけじゃない!」というのが当たり前だった。「お金がないと生きていけない」という思考にハマってしまっている人、もう気が付けなくなってしまっている。「お金で生きているわけじゃないよ」と言ってみても、「だって」が湧く。「だって、お金がないと生活していけない。こういう時には、お金が必要で」となるのは、社会的に仕組まれた組成であり、構造です。

 

(その2)へ続く

 

*こちらの記事は、さらナン音声配信を編集したものです 文・りんご

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